でもなにか喋ろうとしても、あまり喜ばれないようでした。それでヒースロー空港に着くと彼女は優しくなって、カバンを積む手押し車を見つけてくれ、コーヒーが飲める場所を教えてくれたのですが、そこで突然帰ってしまったので、わたしはやりきれませんでした。情けないというよりぼんやりしてしまって、なんだかウキウキしてきたのですが、かといって話相手もいません。コーヒーを飲んでからその辺を歩き回って、どんな小さなことでも吸収しようとしました。それが世間の考える作家というものでしょうから。(もっとも、あなたは別ね。そんなことは全然考えない人だから)そのとき突然婦人用トイレの鏡に写っている自分に気がついて、一分の隙もないぴったりのなりをしているのを見ると、こんなところにいるのはおかしい、場違いだと思いました。大勢の人が押し合いへし合いしていて、子供が泣いていて、私以外のひとはみんなどこかへ行こうというのです。ところがこの穏やかな顔をして長いカーディガンを着た痩せすぎな女は、よそよそしい、つつましい、なかなかいい目をして、やや大きめの手足と、ほっそりとした首筋を見せて、どこへ行きたいというのでもなく、ただ世間が正気にかえったと認めてくれるまで、1ヶ月国を離れていると約束しただけのことなのでした。ほんの一瞬、わたしは狼狽しました。溺れかけていたのではなく、手を振って助けを求めていたのです。

 とにかくーー容易ではありませんがーーそれも乗り越えて、一番頼りになりそうな人たちの側へ行きました。聞いてみなくてもスイスへ行く人だとわかったからで、それからすぐ飛行機に乗りました。するとなかなか魅力的な人が隣に座って、これからジュネーヴの会議へ行くのだと言います。医師だろう、とわたしは思いました。それも、いつもはシエラレオネで仕事をしているというので熱帯地方の病気の専門家だろうと判断したのですが、聞いてみると何かタングステンに関係のある仕事でした。小説家の想像力と言ってもこの程度なのです。それでシエラレオネに戻る前にもう一度週末に英国の家へ帰るのだ、といった話をしました。そしてほんとうにあっというまにあそこへついて(「ここ」というべきでしょうね)タクシーに乗せてもらい、30分ほどでついにここへつき(やっと「ここ」になってきました)これからすぐ荷物をあけてバスをつかい、髪をととのえたら下へお茶でも飲みに行こうというところです。

 ホテルはがらんとした感じです。入ってきた時年配の女の人を見かけましたが、とても小さな、ブルドッグみたいな顔をした人で、足がひどく曲がっていて、進もうとすると左右に揺れる感じがするのですが、その格好で堂々と進んでくるので、思わず道を開けてしまいました。ステッキをもっていて、ブルーのベルベットの蝶結びをつないだよく見かけるベールをかぶっています。ベルギーのお菓子屋さんの未亡人だろうと見当をつけたのですが、わたしのカバンを運んでくれたボーイは、その夫人が体をゆすって通り過ぎた後でかすかに頷くと「伯爵夫人です」と小声で教えてくれました。またまた、小説家の貧相な想像力の証明。とにかく、たちまちこの部屋へ通された(というよりひきずりこまれたようなものですが)ものですから、他のことは目にはいりませんでした。静かで、あたたかで、広さも申し分ない。天候は穏やかといっていいでしょう。

 絶えずあなたのことを考えています。あなたはどこにいるのだろうと考えてみるのですが、これはかなりの難問です。最小とは言っても時差がありますし、あの錠剤の効き目もまだ消えていず、悲しげな糸杉に囲まれているのですから。そう言ってもいいでしょう。でも明日は金曜日です、暗くなる頃にはあなたが車にのって、あのコテージへ走っていくところを想像できるでしょう。それから、もちろん週末です。それについては考えないことにします。あなたには到底・・・」

 ここで彼女は万年筆を置き、ちょっと目を揉んでテーブルに両肘をつくと、頭をかかえてじっとしていた。それから瞬きをしてまたペンをとると、続きをはじめた。

「体を大事になどとあなたに言っても無駄ね。ふつうの人とは違ってわずかな用心さえしない人なのですもの。とにかく、わたしにはどうすることもできません。父は母のことをわたしの命と呼んでいましたが、わたしも大事なあなたに会えないのが寂しくてたまりません」

 彼女は、2、3分テーブルでじっとしていたが、深呼吸をすると、万年筆のキャップをはめた。お茶にしよう、と思った。それがいい。そのあとは歩くのだ。湖畔沿いにながいあいだ歩いてからバスをつかい、ブルーのドレスに着替える。そのころには、いつもなかなか勇気が出ないのだが、食堂へ行く気にもなれるだろう。そうなれば、あとは食べるという仕事がある。これには多少時間がかかるから、すんだらその辺に座って、相手は誰でもいい、あのブルドッグの顔をした夫人でもいいから話をしよう。早く寝たほうがいい。これもあまり悪くない生活だ。事実、わたしはもうずいぶん疲れている。彼女は涙がでるほどあくびをして、立ち上がった。

 荷物をあけるには、ほんの2、3分しかかからなかっ他。たくさんもってきた衣類は、奇跡を祈るような気持ちでカバンにいれたままにしておいた。チャンスがあったらすぐ発てるように、というわけだった。どうせそのままで、しかもしわくちゃになってしまうことはわかっていたのだが。そんなことはどうでもよくなっていた。ヘアブラシとナイトガウンはバスルームへ持って行った。鏡に自分を映してみても、変わった様子はない。それからまたバッグと鍵を持って静寂に震えている廊下へ出た。階段の踊り場の上にある大きな窓から、一筋、弱い光がさしている。両側の壁には、遠い日の贅沢な食事の記憶が染み込んでいるように見えた。あたりには誰もいない。ただ廊下のはずれのドアの中から、かすかにラジオの音がしていた。

 ホテル・デュ・ラックは(ヒューバー家の所有だが)無愛想な重々しい建物だった。名声の高い伝統のあるホテルで、客は昔から、たしなみがあり、暮らしがよくて、すでに引退して表にでたがらないーー旅行というものが世間でさかんになってきたばかりの頃に尊敬されていたような人々だった。ここでは、儚い商売にすぎないものは昔から軽蔑していて、しゃれた外見などはほとんど問題にしていなかった。調度品は質素だったが上質のもので、シーツのたぐいはシミ一つなく、サービスも完璧である。見識のあるプロフェッショナルの間では評判が高く、そのためにホテル業に真剣な関心を持っている優秀な志願者たちはあつまってきたけれども、このホテルがみずからの価値をわずかに認めて譲ったのは、そこまでだった。なんとなく泊まりにきた客は面食らって、貧相なバルコニーや、しんとしたロビーに肩すかしをくい、音楽も流れておらず、電話も名所の広告も街の遊び場への案内もないのにとまどっていた。サウナもないし美容室もない。宝石類が並べてあるガラスケースなどはどこを向いても見当たらず、バーは狭くて暗いので、その愛想のなさには誰一人長居をする気になれなかった。仕事のためであれ、個人的な悪癖であれ、だらだらと酒を飲んでいるのははしたないというのが暗黙の了解で、ぜひ飲まなくてはならないのなら、自室にこもってひっそりと飲むか、そうした酒癖が知られていない街の酒場で飲めばいいというわけだった。午前10字を過ぎれば、部屋付きのメイドはまず見かけない。この時間までには家事の騒音は必ず静まっていた。この時間を過ぎれば、電気掃除機の音も聞こえず、汚れたシーツ類を運ぶ手押し車を見かけることもありえない。客たちが着替えて食事に降りて行ったとたん、控えめなさらさらという音だけが、またメイドたちが現れてベッドを整理し部屋をかたづけていることを知らせるのだった。このホテルが逃れられなかった唯一の宣伝は、馴染み客たちの口から漏れる賞賛の言葉だけだった。

 このホテルは、聖域に似た場所として、世間の目から私生活を守り、完璧と言っていい保護をほどほどに加えれば、それでいいのだった。この、ほどほどの保護に閉口する人々は多かったから、ホテル・デュ・ラックはたいてい半分はあいていて、そろそろシーズンも終わりに近い今頃になれば、わずか一握りになった客の世話をしながら冬の閉鎖期間を待つばかりだった。ただ夏のシーズンの盛りでも、たかのしれた数とはいえ上品な休暇をおくったあとそのまま滞在をつづけているごくわずかな客たちは、それまでとまったく変わらない待遇を受けていて、まるで最高の上客あつかいだった。事実、中にはそういう客もいたのである。むろん、そのための娯楽の用意などはなかった。ただ、不自由な思いはさせず、それぞれの客の人柄に応じて平等な世話をしていた。ホテルのほうも客の人柄や好みに合わせるが、客のほうでもホテルの基準に合わせるのが当然のことになっている。もし何か問題が起きれば、それは賢明に処理された。こうしてこのホテルは好ましからぬ評判などたつ恐れのない所として、人生に痛手をうけた人びと、あるいはただ疲れた人びとが、まちがいなくそれを癒すことのできる場所として知られていたのである。その名前と住所は、こういうことを知っているのが仕事の人たちのカードインデックスに載っていた。その中には医師がいたし、大勢の弁護士がいた。ブローカーや会計士たちも知っていた。旅行会社は知らないか、忘れてしまっているかだった。家族の中の厄介者がときどきいなくなってくれると助かるような家では、ここを重宝にしていた。こうして評判がひろまった。