おパリの路上から

「お」をつけてよんでもいい国はフランスだけだ。おイギリスもおドイツも存在しない。

ならばなんでみなパリには「お」をつけてあげないのかな、という素朴な思いから、いつしかわたしは日本にいる姪っ子たちとSkypeでやりとりするとき「おパリ」を名乗るようになった。

2013年に作家になるためにパリへ来て早7年。2014年に「チーズと洋ナシの間」というエッセイ集を出したきり、あとは日がな、いろんなことに明け暮れていた。その間も、自分が作家じゃないなんて思わないことはひと時もなかった。何を見ても、次の小説のアイディアが次々と浮かんだ。

残さなければ、消えてしまうーー

パリの年明けの風物詩といえば、クリスマスツリーが路上の至る所に捨てられている様子。おパリの家庭ではほんもののモミを買って飾り、元旦ぐらいまで飾っておく。それがすぎると今年もお役目御免と一斉に路上のゴミとなる。

昼下がりに散歩に出たら、ちょっと先の門でひときわ大きなツリーの山をみかけた。と思ったらツリーではない、白い花束の山だった。この辺は高級住宅街だから誰かのおうちでパーティーでもやって、ああやって花は捨てられて行くのだなーーと通り過ぎようとした。

二人の中年マダムと小学生ぐらいの女の子が、その花束の山をずっと見続けていた。中央には、ノミネート加工された一枚の手紙のようなものが添えられている。それを手にとって読む女の子の後ろからわたしも覗きみた。一人の中年マダムがすすり泣きをもらし、もう一人が慰めるようにその肩を抱いた。

手紙の内容はこうだった。月曜の朝ーー今日は水曜だからつまりおとといの朝。この先の小学校に登校中の少女が、トラックにはねられて亡くなった。ほんの2週間前、ノエルを家族とともに過ごしていたのに。幸せいっぱいの新年を迎えたばかりだったのに。新学期の朝にこの世界からいなくなるなんて、家族もともだちも誰も想像していなかった。彼女に関わるすべての人が、幸せだった毎日と、あるはずだった未来を奪われ悲しみに沈んでいるーー

マダムのすすり泣きはいつまでも止まなかったし、同い年ぐらいかもしれないその女の子もまた微動だにしなかった。わたしはそっとその場を後にした。

先の花屋で顔なじみの店員に「こんにちは」と声をかけた。いつもは陽気に迎えてくれるマチルドも沈痛の面持ちだった。白い花の消えた店内を見渡すわたしに、小さな店だからすぐなくなっちゃったの、追加の配達がそろそろ届くはずなんだけど、と言った。

わたしはじゃあまたあとで顔出すよ、とだけ言って店をでた。

考えてみれば、わたしたち人間がこうして生きているのも不思議なことだ。人はオギャーと生まれたときから、死に向かって歩いている。今日が無事終わり、明日が来るなんて保証は何一つないんだ。

生きて、ここにあるということ。

それがどれほどの奇跡であるか、おパリの路上から日本にいる姪っ子たちに向けて、ひそかに叔母は綴っている。